こだわる夫と凝り性の妻。 多趣味なふたりの家族のはなし
住宅街の一角に、ユニークな外観の家がある。1階のオープンガレージには磨き上げられたSUV。その隣は、木枠の菜園ボックスが並ぶ家庭菜園だ。家の中には手作りの家具が並び、釣り具やプラモデルが目を引くインテリアになっている。多くの趣味を持つ川口夫妻の暮らしは、ふたりの子ども時代とつながっていた。
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夫:ひかるさん
茨城県生まれ。高校卒業後、住宅用木材のプレカット製造工場に勤める。DIY、釣り、車、ダーツ、料理など趣味多数。 -
妻:かなさん
茨城県生まれ。子どもの頃に体操を始め、両親に憧れて学校の先生となった。家庭菜園に並々ならぬこだわりがある。
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人が集う場所
-いとこと遊んだ山形の夏と冬-
体操との出会いと先生への憧れ
かなさんは、どんなお子さんでした?
かな 子どものころから体操をずっと習ってました。小学校でもらうお手紙に体操クラブの宣伝がついていて、自分から「これやりたい」って親に言ったんですよね。
へえ。積極的ですね。
かな 一度、体験教室に参加して。それからですね。もともと私、公園で遊ぶタイプで、雲梯(うんてい)とか鉄棒とか、大好きだったんです。
いつ頃までやってたんですか?
かな 学生時代もやっていたので、けっこう本格的だったと思います。
それは、いい出会いでしたね。
かな 家の近くの学校に体操部があって、器具一式がそろっていたんです。それを利用して、体操クラブが行われていたわけです。
なるほど。ご両親が教師と伺ったので、どちらかが体操の先生なのかと思っていました。
かな いえ、全然違うんです。母は小学校の先生で、全教科を教える人。父は中学校で数学を教えていました。私は数学が好きだったので、自分がなるなら数学の先生かなと思ってました。でもそれより、自分が得意なことを伸ばそうと思い、体操を続けられる大学に進みました。
「親と同じ職業はいや!」みたいな反発はなかったんですね。
かな そういうのは、全然なかったですね。ただ、私は末っ子で8歳上の姉と5歳上の兄がいるんですが、姉も兄も先生にはあまり関心がなかったみたいです。
でもかなさんは、子どもの頃からいいイメージをもっていたんですね?
かな そうですね、私は憧れみたいのがありました。よく小学校の先生が使う、ちょっと太めの赤とピンクの間みたいな色のペンってわかります?
はいはい。あの朱色のやつですね。
かな 母が家のリビングで、あれでシュシュシュシュッて丸つけしてる様子とかが好きで、なんだか憧れてました。
なるほど。確かに昔の先生って、家でテストの丸つけをしてましたよね。
かな 私はなぜか、そういうのに憧れたんですよね。当時の私は、すごく狭い世界で生きていたので、大人が働く姿に惹かれたのかもしれません。
先生というと日々の授業だけでなく、学校行事や部活などで大変なイメージがありました。
かな 二人とも忙しくしてましたが、一緒に過ごす時間が少ないと感じたことはなかったですね。父方のおじいちゃんとおばあちゃんも同居してましたし、年の離れた姉と兄もいました。家に6人も私の面倒をみてくれる人がいたので、寂しい思いをしたこともありません。そういうのもあって、学校の先生にマイナスなイメージがなかったんだと思います。
おじいちゃん、おばあちゃんとの生活
一緒に暮らしていた、おじいちゃんとおばあちゃんは好きでした?
かな はい。大好きでした。両親は共働きだったので、私が朝起きたときにはいないのが普通でした。勤務先まで少し距離があったんです。
そのとき面倒見てくれたのが、おじいちゃん、おばあちゃんだったんですね。
かな そうです。毎朝、おじいちゃんが起こしてくれる。
おじいちゃんが起こしてくれるんですか?やさしく「かな、起きなさい」みたいな?
かな そうです。おじいちゃんはとっても優しい。それに、絶対ちゃんと起こしてくれるのが分かってるので、私も甘えて一回では起きない(笑)。お決まりの攻防がありました。
なるほど。それでようやく起きていくと、今度はおばあちゃんが朝ごはん作ってくれている?
かな いや、朝ごはんは母が用意してくれていたんですが、私は自分が好きな納豆ごはんをよくおじいちゃんにおねだりしてました。おじいちゃんが作ってくれるんです。納豆を混ぜてご飯にかけてくれて。
混ぜてかけてくれるんですか? それは甘えてますね(笑)。お手伝いはしました?
かな してましたよ。夕方はおばあちゃんが料理をしてくれるんですが、そのときは、きぬさや(小ぶりのさやえんどうのこと)の筋を一緒にとったりしました。
きぬさやの筋とり、懐かしいです!僕もまさに、おばあちゃんと一緒にやりました。あと栗の皮を剥いたり。
かな なんだか、そういうお手伝いをしていると、おばあちゃんのこと好きになりますよね。
そうなんですよね。僕も祖母から料理を教わったので、よくわかります。印象に残ってる料理ってありますか?
かな おばあちゃんが作るもので好きだったのは、栗の渋皮煮ですね。教わるところまではいけなかったんですが、その渋皮煮ができるとおばあちゃん、近所に配っていたんです。おいしくて、ちょっと有名でした。
すてきなおばあちゃんですね。
かな そうなんです。鞄とかも自分で作っちゃうような人だったんです。ほら、古いミシンってあるじゃないですか。黒くてペダルみたいのがついてるやつ。
はいはい。足踏みミシンですね。
かな それで、カバンとかを手作りしちゃうんです。布のトートバッグみたいなやつですね。お裁縫がとても上手で、私も手縫いで巾着を作るのを教わっていましたね。今でもたまに小学生のときの裁縫道具を出してきて、手縫いをしたりします。
それもいい趣味ですよね。
かな なんかそういう、おばあちゃんが何かをやってる横で一緒に何かをする、みたいなことがとても好きだったんです。そのころ作ったものをずっと大切にとっておいて、大人になってから、これ一緒に作ったんだよって見せたりして。
おふたりが一緒に趣味を楽しめるのは、かなさんのその性格が大きいのかもしれませんね。ひかるさんの好きなことを受け入れて、教わろうとするじゃないですか。
かな でもそれは、やさしく教えてくれる彼がすごいと思うんです。面倒見がとてもいい。
すてきな関係ですね。
趣味のスタンスと仕事の選択
ちょっと凝り性なところもありますよね、きっと。
かな そうなんだと思います。体操も本気でやると相当つらい競技ですし。私の感覚としては、結果を得るために必要なことがあって、ただそれをやるだけ、って感じですけどね。
いや、正にアスリートの考え方だと思います。いまのお仕事は「一生の仕事」という感覚ですか?
かな そうですね。他の職業を考えたことはないです。正規雇用で担任も部活もやって土日も働く、みたいな生活をしていた時期もありました。ただ、その働き方だと趣味を楽しむことはできない。だから最近は、非常勤を基本にしています。
でもおかげで、いろいろなことにトライできる。スノボも初挑戦だったんですよね。
かな はい。家族全員スキーをやってたので、ウィンタースポーツは好きなんです。うちの両親はどちらも山形出身で、母は朝日町、父は赤湯が実家でした。その母方の朝日町には、祖母とその長男一家が住んでいたんです。母は4人兄姉でみんな子どもがいたので、休みがあるといとこが大勢、集ってました。
うわ、すごくにぎやかそうですね。
かな いとこが全員集合すると、すごい人数になります。冬休みも春休みも集って、みんなで近くのスキー場に行ったりしてました。地元の人は、スキー場の年パスとかを持ってるんですよね。
大人数が泊まれるということは、大きな家だったんでしょうね。
かな そうですね。かなり大きい家ですね。りんご農家をやっていました。お米も作って、自給自足みたいな感じですよね。そうそう、それこそ昔は絵に描いたような「かやぶき屋根」でした。
かやぶき屋根!それは、子どもはワクワクしますね。
かな 10人くらいは泊まれたと思います。あとは、離れみたいなところもありましたね。基本的には、みんなで雑魚寝です(笑)。
いとこみんなで雑魚寝して、冬はスキーに行く。夏はどうでした?
かな 海に行ったり、スイカ割りをしたり。でもそれも、小学生まででしたね。とにかくその家の集まりが好きで、帰りたくなくて毎回泣いてました(笑)。
中学生になると、やっぱり部活で忙しかった?
かな そうですね。おじいちゃん、おばあちゃんもだんだん年をとっていくので、私も徐々に自立してったんですよね。高校生になると、始発で出て行って22時くらいに帰ってくるような生活だったので、家のことってあまり覚えてないんですよね。
そう考えると、家とか里帰りの記憶って、かけがえのないものですね。
(写真:tsukao)他の記事も読む
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